メタルギアソリッドを生み出した小島秀夫監督の待望の新作デス・ストランディング(DEATH STRANDING)が遂に発売した。
しかも有名なゲーム会社を辞めて、独立系として『再出発した第一歩』と言う注目の作品だ。
なぜなら今までも多くのクリエイターがそれで失敗。もしくは不発に終わるか、経営側に退いたりしている。
例えば
・カプコンでバイオハザードを生み出した三上真司→セガでヴァンキッシュ
・テクモでDEAD or ALIVEやNINJA GAIDENを手掛けた板垣伴信→ヴァルハラゲームスタジオでデビルズサード
「カリスマゲームクリエイターも結局は大企業のバックアップが無ければ、ただの人なのか?」と言われるような結果ばかりだ。
デス・ストランディングの売上はヴァンキッシュよりはマシな様子だけどメタルギアソリッド5の半分程度と、あまり振るってはいない様子。しかも、これだけPS4が普及してる今現在でだ。
このまま行けば制作費は回収できそうだけど「あれだけ宣伝しててその程度?」といった印象は否めない。
お金を出す人(会社)からすれば、なおさらだ。
ファンからすれば「このままじゃ次回作はないかも?」とか「もう小島監督は大作が作れなくなるかも」と気がかりだろう
しかもシージやスプラのような末永く遊べるオンラインマルチの競技ゲームじゃない。
初動が大事なシングルプレイタイプだ。※デトロイトとかドラゴンクエストとか
他のプレイヤーの作った施設やアイテムが利用できるストランドシステムはユニークだが、これのおかげで何年も売れ続けるなんてことはないだろう。
しかも肝心の内容が微妙 ツマラナイとの評価まで。
映像はきれいだけど 操作がだるいとか ムービーばっかりでゲームは歩き回るだけとか散々な評価も
それに対して「期待が大きすぎただけでは」とか「これは芸術作品だ」とか擁護するような反応も多い。
僕もメタルギアソリッドはシリーズ通して何周もしてるほど好きだが「小島秀夫様の作品は全部最高に決まってる!」なんて信者じゃない。
良いものは良い、ダメなものはダメ
そして結構多いのが「最初は、あまり面白くないと思ったけど『やるか』と思って、ついやってしまう」とか「不満はあるけど、なんだかんだ楽しいかも」みたいな
「満点じゃないけど普通におもしろい。別に信者じゃないけど、ぜんぜん酷いゲームじゃないと思う。」と言ったような、絶賛は出来ないけど、まあまあ面白いゲーム、でもなんか引っかかる。と言ったハッキリしないモヤモヤした反応だ
そして僕の評価はこれに近い。『大絶賛は出来ないけど、続きが気になるし、やってて楽しい』そして『わざわざ人に薦めたりしないけど、やりたい人がやればいい。僕は面白い。』って感じだ。
ちなみにまだ全クリしてなくて、相変わらず配達してるところだ。
物語の結末を知らない。プレイ時間は40時間くらいかな?
発売から一週間ほど、仕事と生活の中で時間を作って、じっくり急がずプレイしてる。
でも、あと数日でクリアしそうかな?6,200円で、これだけ楽しめれば不満はない。
全クリしても色々やり込みたい。
「さっさとクリアして中古で売っちまおう」なんて気は毛頭ない
その上での僕の感想や考察だ。極力ネタバレは避けるが、多少ゲーム内容は書くので全く知りたくない人は要注意だ。
まず
話がわかりにくい。
これが大きいと思う。
デス・ストランディングの世界観と設定と人物描写はわかりにくい。大人向けとか難しいとも言える。
映画好きの小島監督の性質が、多くの人に触れる大作ゲームにとって悪く出てしまったのだと思う。
簡単にあらすじを書くと
『デス・ストランディングが起きた後、世界はバラバラになり都市はヴォイドアウトした。その世界でノマドな主人公サムは配達を生業としていたが、過去の繋がりから、再びアメリカを繋ぎ直すためにカイラル通信で都市と都市を結ぶことになった』
未見の人には、何が何だか分からないだろう。
まるでFF13の「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」だ
だから、ほとんどのプレイヤーが、よくわからないまま、アイスランドみたいな何もない原っぱに放り出される。
※↓これがアイスランド
しかも放り出される前の説明は、ヴォイドアウトだのカイラル通信だの、聞き慣れない言葉ばかりの『超キレイだけど操作できない結構長いムービー』だ
そして、放り出されると言っても「これドコドコに持っていって」って言うお使いだ。
しかも歩きだしたら、転ぶ、倒れる。
普通に歩くのにも操作とか荷物の持ち方とかコツや知識や技術が求められる
そりゃイライラするだろう。
しかし「きっと遊んでればそのうち」っと思って、せっかく買ったのだから遊ぶだろう。
しかし2時間経っても4時間経っても似たような状況だ。
期待してたプレイヤーが怒りのレビューやツイートを書くのも仕方がない。
デス・ストランディングには
『ピーチ姫がクッパにさらわれたからマリオが助けに行く』みたいな、わかりやすさがない
『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドで、リンクが目覚めて、洞窟を出たら目の前に大自然が広がって、さあ冒険が始まる、君はどこにでも行ける(本当にいきなりラスボスにも行ける)』って、あの自由度やワクワク感も無い。
デス・ストランディングの始まりは、まるでリドリー・スコットの映画プロメテウスだ。
美しい風景で音楽が流れて何かよくわからないことをしてるだけなんだ。
それに主人公が乗り気じゃない。色々とあるのだろうが、しぶしぶ成り行きで、この話は始まるのだ。
やる気のない主人公と、誰もやりたくない他人の荷物の配達から始まるんだ、このゲームは。
これはゲームの目的に対する動機づけとして成功してるとは言い難い。
結末を知らない今だから無責任なことを言うが、ワンダと巨像みたいに恋人やら奥さんやら子供やら、大事な人を最初から側に置いて、助けるためにはアメリカ西海岸に行って治療しないといけない「だからアメリカの通信も道路も繋げるしか無い。他に出来る人がいない」「頼んだぞサム!」みたいな、ありきたりだけど、少年ジャンプくらいわかりやすい導入のほうが良かったんじゃないだろうか。
都市と都市を繋げる度に大事な人に回復の兆しが現れたりね。
それで「よしやるぞ!大事な人とアメリカを自分が助けるんだ!」って前のめりで始めてから、サムの過去とか、配達で他人から喜ばれる楽しさとか、配達の創意工夫がだんだん伝わっていったら、デス・ストランディングの評価も変わったのではないだろうか。
導入で、ほとんどの人が感情移入出来ず、置いてけぼりになってるからゲームプレイが「ただ歩くだけ」「運ぶだけ」になってしまっている。
多くのプレイヤーは「さあ!世界を救うぜ!」とは思っていない。
「他に誰かいないのか、なんで俺が運ぶんだ」とボヤくサムと同じで、重い足取りでしょうがなく運ぶのだ。
崖にハシゴを掛けたり、橋を作ったり、錆びてボロボロでパチパチ言ってる電気自動車を慎重に走らせて、色んなものを運ぶ。
川に足を取られて大事な荷物をぶち撒けたり、せっかく上手く行ってたのに強盗に邪魔されて荷物を強奪されたり、四苦八苦しながら大事な荷物を求めてる人達に運んでいく。
その過程で装備を改良したり道を整えたり工夫したり、こういう道は注意したほうが良いとか「あの岩ならバイクでジャンプして越えられそう」とか知識と技能が身について、トライ・アンド・エラーの先に達成と報酬が有る。
使い勝手がよくわからなくて使わなかったハシゴやロープなどのアイテムも他のプレイヤーが設置してくれたものが有るから「こういう使い方をすると便利なのか」と理解できて、自分でも積極的に使うと、どんどん前に進めるようになる。
だんだん今まで出来なかったことが出来るようになっていく。
気が付けば、すっかり転んだりしなくなってる。サムとともにプレイヤーも成長するんだ。
これはまさしくゲーム体験だ。
ブレスオブザワイルドの「あれくらいの距離ならパラセールでギリギリ行けそう」って目星をつけて上手く渡れたときの達成感に似てる。
歩き運びの大変さを経験したからこそ、オンライン上の他のプレイヤーと協力して、苦労して直した国道を、バイクで走るときの爽快感は格別だ。
荒野と違って国道から電力供給されてるからバッテリー切れの心配もない
だから勝手がわかって来て「こうした方が配達の効率いいじゃん!」って気がついて上手く行ったりすると楽しいんだけど、そこに行くまでが非常にわかりにくいし、とっつきにくい。
例えば「岩場はバイクでジャンプして飛び越えられる」って言うのも冒頭のムービーで実演されるんだけど、実際にプレイヤーがバイクのジャンプで飛び越えられる岩場が有るシチュエーションに到達するのは6時間くらい後だっただろうか。
目的もストーリーもよくわからないまま、何時間も退屈しながら嫌々配達してたらウンザリするのも当然だ
それに小島秀夫監督も、もう56歳。当然、死後のこととか家族のこととか自分が残したものとか色々と考えてきた年齢だろう。
デス・ストランディングには”ビーチ”って言う死者の世界も描かれている。
死者の世界は黒い砂浜と灰色の海
まるで湘南海岸だ
そんな変わった人物も出てくる。
とても興味深い、単館系の変わった映画のようだ。
でも、そのせいで、わかりにくい話が更にわかりにくくなる。
「メタルギアソリッドの人の新作を買ってきた!スネーク!」って気持ちでゲームを始めたら「あれ?運ぶだけ?つまんない!話もよくわかんない!」って人も当然出てくるだろう。
でもデス・ストランディングには小島秀夫監督の人生と今が詰まっていて、色んなピースが散りばめられてる。
だから魅力的な部分も多いんだけど、わかりにくい。
しかも、わかった上で得られる楽しさが、端的に言えば配達の工夫だ。
だから「さあ、何もかも楽しむぞ!歩くことすら!」って気構えの人と「話題のゲームを買って来た人」では大きな温度差が生まれる。
何時間も歩いて転んで怪我して輸血して、大事な荷物をぶち撒けて、頑張って橋や道路をオンラインプレイヤーと協力して造ったら、車やバイクで移動するのが感動するほど楽になる。
でも興味がない、楽しめていない人からすれば、作業の延長だ。「バイクや車で橋や道路が移動できる?だから何?普通じゃない?」ってなるだろう。
よくよく考えるとメタルギアソリッドの『伝説の傭兵が核武装したテロリストの基地に潜入して世界を救う』って言う木曜洋画劇場みたいな話は圧倒的にわかりやすかった。
それでいてメタルギアは、いざ遊んでみると登場人物の過去や主人公の心情が深く描かれていて、物語にもどっぷりハマる。
証拠が残せない特殊工作員だから武器も装備も現地調達。
だからアイテム一つ一つが思い入れ深い。
新しい装備を手に入れた時の嬉しさと心強さが印象深かった。
多くのプレイヤーがメリルと大佐のためにスナイパーライフルを取りに行った時の道のりは長く、もどかしく感じただろう。
ゲームらしく、そして映画らしくもあった。
BTやヴォイドアウトやブリッジベイビーと言った、不可解な世界観と設定、小島秀夫ならではのデス・ストランディングは魅力的だが、小島秀夫が自己資金で作ったならともかく、ソニーやゲリラゲームズがパートナーで、出資を募って作った独立第一作としては冒険し過ぎたのではなかろうか。
ゲームは商売だ。慈善事業じゃない。お金も時間もかかる。
セールスが振るわないと次がない世界だ。
元々コナミと言う大企業でプロデューサーどころか会社役員の経験もある小島秀夫に向かって差し出がましいが、次は商業的な成功を目指して、映画で言うところのスピルバーグやピクサーのような万人受けする新規タイトルを立ち上げてはどうだろうか。
デス・ストランディングはブレードランナーの様に公開当時の評判は微妙でも何年も話題に登るカルトで意欲的なタイトルとして語り継がれ、PS5でリマスタリング完全版(ディレクターズ・カット)を出して長期的にはセールス面でも大成功と言う形が理想だろう。
PS5なら画面も操作も滑らかに快適になり(PS4版はお世辞にも滑らかとは言えないシーンが有る)
完全版ならではの改修や補完も入れて、作品の屋台骨は変えずに、多少の補完や補足を加えて、少しでも多くの人に魅了が伝われば、将来は評価も変わることだろう。
僕は劇場公開バージョンと言える今のデス・ストランディングの残りを、たっぷり味わうつもりだ。
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